おおみち日記

感じたことを適当に書きます。真に受けてはなりません。たまに女言葉になりますが、おっさんですので要注意。

悩み相談にて、お坊さんの話し

昨日でしたか、某番組の悩み相談コーナーで――悩みそのものは端折るけども、面白かったのは、その中でお坊さんが言っていた、

「お釈迦様に悪意をもって言葉を発する人がいたが、お釈迦様はまったく気にとめなかった。逆に「頭にこないのか」と聞いたところ、例えで、「出した料理を食べずに客が帰ったとする。その料理は誰のものか? 出した本人のものであろう」(言葉は正確ではありませんが、そんなようなこと)

つまり、ここでいう料理とは悪意のことで、料理を出された客(悪意の向け先)がそれ(悪意)を受け取らなければ、悪意はそのまま出した人に返る、というのです。ちなみに同席していた精神科医(だと思うのだけども)の答えは、不機嫌を演ずるというようなことでしたが、対処療法的にはそれでいいかもしれない。

いじわるをする同僚に安易に同調しないということだけど、ワタクシ的には、会社は仕事をする場であって、仲良しクラブじゃないんだから仕事さえキチンとすれば、積極的に仲良くしようなどと思うことはないんじゃなかろうかと。

むろん、積極的に嫌うこともないが、人間関係が会社内だけだとつらいから、外に求めてバランスをとったらどうかしらんと思ったのだけども、それはともかく、精神医学も科学でありましょうから、お坊さんの言うような「発したものが返ってくる」ことを証明するのは難しいと思われる。

科学的なアプローチというのは、目の前の不都合な現象や症状をいかに取り去るか、あるいは思い通りにするかといったことが目的というか、重点がおかれていて(それはそれで役に立つとしても)、意味にまで踏み込めないでいるような気がする。意味などないというかもしれないが、それは虚しい。意味とは、そうしたらそうなるという当たり前のことといってもいい。というわけで、宗教の教えに触れるのも一興と感じた次第であります。