おおみち日記

感じたことを適当に書きます。真に受けてはなりません。たまに女言葉になりますが、おっさんですので要注意。

二元の概念

著名人のコラムなどを読んでも、何らかの概念の上に成り立っていることが多く、不自由な話しだなあと思うことがよくある。わかりにくいかもしれないけど、そもそも概念なんてないんだから。

例えば、金持ちでなくてはならないという概念を受け入れた瞬間、自分を見失い、左右(金持ち・貧乏)という枠の中でのたうち回ることになる。自分に能力がないとか環境や運が悪いとかではなく、自分がその概念を受け入れたからだ。

金は必要だけども、その多寡を競う人生なんてつまらない。むろん、その才能があり、結果も出しているというならいいのだ。稼いでいるということは、それだけ人の役に立っているんですからね。しかし、みなそうではないし、本当はよいとされる側にいても真に自由かというとそうでもない。常にそうでなくなる可能性を抱え込んでいる。

金があるかどうかだけではなく、たとえば、イケメンでなくてはならない(イケメン・ブサメン)だとか、スタイル(痩・太)など見かけに関するもの、幸・不幸、健康・病気、善・悪、勝ち組・負け組など、こうでなくてはならない、こういうのがよいと受け入れた瞬間、そうでないものは悪いというものを作り出す。むろん、グレーゾーンもあるんだけども。

自分がよい、あるいは優れているとされる側にいる、うまくいっているうちはいいが、そこから外れると、外れていると、なんとかそっち側になろうとあらゆる努力をして、そうなれなければ、あるいははじめから断念して、苦しむことになる。

よいとされる側の人は、そうでない者を下に見、そうでない者は自らを卑下して駄目なのだと思い込む。極端には自死する人さえいる。そんなことをもたらしかねない概念などいらない。自分自身を発揮するだけでいいのだ(と思うのよ)。それが出来ないと思うのは、まだ何らかの概念を持っている証左である。

要するに自分自身からのずれが不自由をもたらすのであって、二元の概念は自分を惑わす最たるものというわけだ。